日記 2019/4/24 青春のイメージは綺麗すぎる

実のところかなり自信を持っていることがひとつある。

それは青春をしているということだ。

 

青春は高校生だとか大学生だとかの特権ではない。年齢や所属では区切れない(だいたい大学生の年齢は幅広い)。そして何より、恋愛や部活動に限ったものでもない。

もっとこう...ぐずぐずしてるものだ、燻ってて、炉で熱されたガラスの橙みたいなイメージ。

そんな名言を昔見つけたので、引き合いに出してやろうかと検索したのですが、上手に検索できませんでした。

 

なんだか最近、青春って、爽やかだったり恋愛だったりのイメージがよく喧伝されている印象。

アオハルってね。

それももちろん素敵だ。でもそれは青春の一面でしかない。しかもかなり表層(な気がする)。

 

本当(一体なにが本当なんだか!)の青春って人生の意味に悶々と悩んだり、燻ったり、そういうものだと感じる。

偉い人の言葉を見たり、いわゆる良本を読んでいるとそんな感じ。

で、私はいつもそんなこと(生きる意味とか、死ぬこととか、これでいいのかとか)ばかりを考えている。

だから青春をしている自信がある。

アオハルはやっておりませんが、青春はしております。と、そういう感じ。

実は誰しも10分後に死ぬ可能性があって、いつ死ぬかわからないこと。なににもなれない可能性があること。理由なき万能感と、それが根拠のない空虚なものだと実はわかっていること。焦燥感。

そういったものを青春と形容して良いのだと、私は先人の言葉から受け取りました。

だから、恋愛とか部活とかそういったものに縁が薄くても、きみも青春してますよ。

元気を出して。というより、実は元気なんて有り余ってんのに注ぐ先がなくて燻ってんだよな、それで疲れてるんだよな、勝手に共感するよ。

という感じ。(架空の青春の人との会話)

 

くすぶって、ぶすぶす言っててどろどろで、きたなくて無知でどうしようもない青春なんて、広告イメージに使えないもんね。だいたいそういうところもいい歳になる頃には、いい具合に美化されてんだ。綺麗に輝いて見えちゃうんだろ。俯瞰できちゃうからね。

 

 

にしても、昨日も今日も、思考に言葉が追いついていない。

思いはタイプする指を待ってくれない(ブラインドタッチが苦手だから尚更)

これじゃ、ダメダメだが、無いよりマシだから今日もログを垂れ流す。