幼い頃見た桜の色は今より濃かった気がする
桜の季節だ。
家の近くの道端のソメイヨシノも凡そ満開になっていて、風が吹くと白に近い薄紅色の花弁がはらはらとふってくる。
私は、私が子供だった時に比べて桜の色が薄くなっている気がしている。
数年前、大学生になって何度目かの春に、あれ?桜の色ってこんなに白っぽかったっけ?と思ったのである。
そこで、どうやら桜の色は私が思っているより淡いらしい事に改めて気がついた。
でも、昔はもっと濃かった気がするんだけど。
そう感じる理由を少し考えてみる。
しばし前、インターネットかどこかで見た記事に、幼い頃の方が色が鮮やかに見えると書いてあった。生きていくうちに、光で目が少しづついたんで(濁って?経年劣化というやつだ)色はほんの少しづつ鮮やかさを失っていくらしい。
真偽のほどはよくわからないが、なるほどそうかもなぁと思う。
目が劣化していくかどうかは置いておいても、幼い頃は何もかもが新鮮で活き活きとして見えるのは確かだから、桜の色に見慣れてしまって鮮やかに見えにくくなったというのはあり得る話だ。
また別の方向から考えてみる。
私は桜のイメージを八重桜の濃い色とソメイヨシノの淡い色が混ざった状態で持っているのでは、ということだ。桜も種類が違えば色が違う。それだけの話だが、桜と一つにまとめて色のイメージを持っているせいでソメイヨシノを見ると、白い!と思ってしまうのかもしれない。
これもイメージの問題だが、普段イラストや加工された写真で鮮やかな桜色で描かれる桜の花に見慣れてしまっているからという理由かもしれない。(絵文字の桜も濃い色だ)
そして普段の生活で、桜がらみでなくとも濃い色に見慣れてしまったために薄く感じているのかもしれない。
もちろん、本当に年々桜の花の色が薄くなっている可能性もなくはない。(可能性は低いが調べていないからなんとも言えない)
何れにせよ桜(ソメイヨシノ)の花の色は私の脳内ソメイヨシノの色より淡いのだ。
それは悪いことでも悲しいことでもない。
日が暮れて薄暗い中で浮かび上がる桜の花の美しさは、幼い頃は気がつかなかったように思う。
ソメイヨシノの花弁がくるくる回りながら、まさに舞い落ちる様はやはり美しい。
クローン桜・ソメイヨシノの花盛りはもうあと僅かだ。
一斉に散る様が美しいとは私は思わないが、やわらかで薄い花弁、指で触ると少しひっついて引っかかる感覚、淡い香り、目立たない薄紅色を味わえるのは今しかない。
来週は早起きして花見に行こうと思う。