時の流れに目眩する

元号が発表され、年度が切り替わった。

この土日、研究が忙しく、ほとんど外出できていなかったので久しぶりに外出(散歩)をした。

気がづけば桜は満開で、街は新生活の匂いと令和フィーバーの雰囲気が充満していた。

だが、私の生活にはさしたる変化はない。

ただ研究室にいつもいた何人かはすっかりいなくなり、持ち物の一切も残さず、人生の次のフェーズに移行してしまった。

今は空白が残っているが、そこもすぐに埋まることだろう。

 

帰り道の坂で信号を待つ間、強い向かい風に吹かれ続け、それが時の流れのように感じた。ドラえもんのタイムライトを使ったか如くの感覚だった。

 

どこにいても、何をしていても、時は流れている。記憶やその瞬間の感覚は波にさらわれ、押し流され続けている。

忙しく仕事をこなす時もくつろいでいる時も、いついかなる時も時の波から逃れられない。おそろしいことだ。

 

波にさらわれ続けるのは体力が必要だ。

時の波も同様なのではないか、という気がした。

時間に放っておかれたい。